【食と暮らしのコラム 第8話】

はじめに:大人になるほど忘れがちな『噛む力』

「よく噛んで食べなさい」

子どもに向けた言葉としてよく聞く一方で、大人になるほど、私たちはこの大切な行為を軽視しがちです。

忙しさ、習慣、早食い、ながら食べ

理由はさまざまですが、現代の食生活は『噛まなくても食べられるもの』で溢れています。

柔らかい食品が増え、食事の時間は短くなり、ながら食べが当たり前になり、口の中でしっかり咀嚼する感覚が薄くなる。

 

けれど冬になると、体はその「歯車の狂い」を少しずつ教えてくれます。

  • 食べた後にいつも眠い
  • 胃が重い
  • 食欲が安定しない
  • 体調を崩しやすい と感じる
  • なんとなくやる気が出ない

これらの不調には様々な理由がありますが、 実は「よく噛む」という基本的な習慣が、 体調を支える要因の一つと考えられています

 

『噛むことは、体の入口を整える習慣』

このシンプルでありながら奥深い働きを、栄養士の視点から紐解いていきます。

 
食事をよく噛んで食べてる人

1.咀嚼は『バリア機能の入口』

咀嚼は、消化のスタート地点である以上に、体を守る働きの一助としても捉えられています。では、なぜ噛むことが免疫に関わるのでしょうか。

 

① 唾液は「口の中の守り役」

唾液には、以下のような『抗菌・防御系の成分』が含まれています。

  • IgA抗体:侵入者をブロックする粘膜防御の主役
  • リゾチーム:細菌の細胞壁にアプローチ
  • ラクトフェリン:ウイルスや細菌に影響を与える研究あり
  • ヒスタチン:口内環境の健康維持に関与

これらは、細菌やウイルスが体内に侵入しようとしたときに働く、最前線の防御役です。

 

冬は乾燥で口腔内が乾きやすく、唾液が減少します。

そこで『噛む』という刺激によって唾液が増えると、喉や口の湿度が保たれ、自然な防御力が支えられます。

唾液には「口の中の守り役」としての働きがあります。 

 

マスクが外側から守るなら、唾液は体の入口で 静かに防御機能をサポートしています。

咀嚼はその働きを後押しする、もっともやさしい健康習慣です。

 

なお、咀嚼だけで感染症を防げるわけではありませんが、口腔環境を整える日々の習慣のひとつとして意識されることが増えています。

 

② 自律神経が『整いやすくなる』

噛むリズムは脳へ規則的な刺激として伝わり、副交感神経が優位になりやすいと言われています。

 

自律神経には2つのモードがあります。

【交感神経】

  • 活動モード
  • 緊張・興奮
  • 心拍数の増加

 

【副交感神経】

  • 休息モード(メンテナンスモード)
  • 消化の準備
  • 心身のリラックス
  • 免疫が働きやすい環境づくり

 

冬はストレス、寒さ、生活リズムの変化で交感神経が優位になりやすい時期。

そんなときこそ、噛むリズムによる穏やかな刺激が、副交感神経の働きを助け、体を休息モードに導く一助になります。

 

➂ 咀嚼は『冬の食べ過ぎ』のブレーキ役

冬はエネルギーを欲しやすい季節。

そのため、無意識に早食いや大食いになりがちです。

 

噛む回数や食べるスピードは、レプチンやGLP-1など「満腹感に関わるホルモン」に影響すると示唆されています。

よく噛んでゆっくり食べることで、食べ過ぎを防ぎやすくなる一因になると考えられています。

噛む → 食べるスピードが落ちる → 満腹感が早く訪れる

 

これだけで、満腹感が早く訪れやすくなり、その結果、冬の食べ過ぎを見直すきっかけのひとつにもなります。

2.咀嚼は「胃腸への最高の思いやり」

冬に胃腸の調子が悪くなる人が増える理由のひとつに、

『咀嚼不足による消化機能の低下』があります。

 

① 噛まずに飲み込むと、胃が疲れる

本来は口で行うべき咀嚼が省略されると、胃がその分、余計に働かされることになります。

咀嚼が足りない → 大きいままの食べ物が胃に届く→胃が余計に動かなければならない

→消化に時間がかかる

すると、

  • 胃のもたれ
  • 食後の強い眠気
  • 栄養吸収の低下
  • 腸の動きの鈍化

などにつながることがあります。

 

栄養は『吸収されてこそ意味がある』もの。

噛むことはその第一歩です。

 

② 咀嚼は『胃腸への負担をやわらげる、やさしい準備運動』

噛む→唾液が出る→消化がスムーズ→胃腸の負担が減る

という流れは、結果的に胃腸に優しく、冬の体調を保ちやすくするうえで、ひとつの助けになるといわれています。

 

冬の食べすぎ・飲みすぎ・消化不良

これらの影響が重なると体調を崩しやすくなる一因となるため、咀嚼は見えないサポート役になります。

 

3.咀嚼と脳 :冬の『気分の揺らぎ』を整える

冬は日照量が減り、気分が沈みがちになることがあります。

  • 気分の落ち込み
  • 集中力低下
  • やる気が出ない

 

こうした状態の背景には様々な要因がありますが、

咀嚼による脳への刺激が、日常的な集中力の維持に役立つ一助と考えられております。

 

※気分の落ち込みが長期間続く場合は、必ず医療機関への相談をおすすめします。

 

① 噛むと脳の血流が増える

咀嚼によって脳の前頭前野の血流が増えることが分かっています。

これは「考える力」「集中力」「判断力」といった、日常生活に欠かせない機能を支える働きです。

冬の『なんとなくぼんやり』を感じるとき、よく噛んで食べることが、脳への刺激として役立つことがあります。

 

②  『噛むと落ち着く』の科学的理由

「ガムを噛むと集中しやすくなる」

これは単なる感覚ではありません。

噛むことがストレスホルモンの変動を整える助けになるという報告もあります。

噛むという行為は、原始的なリズム刺激であり、冬の緊張しがちな心身にとって「優しいゆらぎ」として働きます。

 

4.自然に『よく噛める』食卓とは? 

噛む回数を数えて意識するのは続きません。

大切なのは、食べる時間そのものを丁寧にする工夫です。

それだけで自然と咀嚼が増え、食べる喜びも大きくなります。

 

ただし、高齢者では噛みにくさや飲み込みにくさに個人差があり、不安がある場合は 無理をせず、医療専門家に相談することが重要です。

 

①温かい汁物を最初にひと口

冬は乾燥で口の中がパサつきやすい季節。

 

食事の最初に温かい汁物を少し含むことで、

  • 唾液が出やすくなる
  • 口周りの動きが滑らかに
  • 「食べる準備」が整う

自然と噛みやすい状態に導かれます。

 

※飲み込みに不安がある場合は専門家(かかりつけ医等)と相談

 

② 箸置き・スプーン休めを活用

噛む回数を増やす一番の方法は、

  • 急いで口に運ばないこと
  • 一口ずつ食具を置く
  • しっかり味わう時間を作る

これだけで咀嚼の質が上がります。

 

➂ 食事に集中できる環境づくり

ながら食べは早食いにつながりやすいもの。

  • テレビやスマホを遠ざける
  • テーブル上をシンプルに

会話はゆったりと落ち着いた環境が、落ち着いた咀嚼を誘います。

 

④ 個々のペースを尊重する

周りの速度に合わせるのではなく、その人の体と心が安心できるペースで食べることが大切。

食支援の現場では、それが事故予防にも、満足感にもつながります

 

⑤ 足の裏を床につけて食べる

実は、噛む力と「足の裏」には深い関係があります。

足の裏が床(または足置き)にしっかりついていないと、顎に力が入らず、咀嚼が浅くなりがちです。

 

  • 椅子に深く腰掛ける
  • 足の裏を全体につける
  • 背筋を伸ばす

 

姿勢が安定すると、誤嚥リスクに配慮しながら自然と噛みやすくなります

 

※歯の治療中、顎に痛み、噛む力の低下、嚥下の不安等がある方は、

無理をせず、かかりつけ医・歯科医・言語聴覚士など専門家へご相談ください。

 

5.噛む力の変化は『体からのサイン』

咀嚼力は年齢や体調とともに変化していきます。

これは悪いことではなく、体が『今の状態』を教えてくれているサインです。

 

① 噛む力が落ちる理由

  • 歯や歯茎のトラブル
  • 筋力の低下
  • 唾液量の減少
  • ストレスや疲労
  • 早食い習慣
  • 噛まなくても食べられる食品の増加

どれも珍しいことではありません。

 

噛む力が落ちたと感じるとき、重要なのは「戻すための小さな工夫」を続けることです。

 

② 咀嚼は「生活の質」を守る

噛む力が落ちると、

  • 食べられるものが減る
  • 食事の楽しみが減る
  • 栄養が偏る
  • 活力が低下する

という流れが生まれやすくなります。

 

逆に、噛む力が保たれていると、

  • 食事の満足度
  • 行動量
  • 体調
  • 心の安定

が自然に整いやすくなります。

噛むことは『生活の質』を支える習慣のひとつです。

 

➂ 噛む力が「食べ続ける力」を支える

よく噛むことで、口周りや喉の筋肉を保つ助けになります。

これは、食べ物を安全に飲み込む力を維持することにつながります。

特に高齢期には、「噛める」ことが「食べ続けられる」ことに直結します。

 

※ただし、既に飲み込みづらさがある場合は無理せず、かかりつけ医・歯科医・言語聴覚士などの専門家への相談をしてください。

 

6.冬こそ噛む習慣が役立つ理由

冬は体調が揺らぎやすい季節です。

その理由の多くは、自律神経や免疫の働きが影響し合っていることが考えられています。

噛むという行為は、それらすべてにさりげなく関わっています。

 

① 冬の乾燥と唾液の減少

冷たい外気や暖房などで、口腔内の湿度は思った以上に下がりがちです。

よく噛む習慣は、乾燥する冬の『口の守り手』として役立ちます。

 

② 冬のストレスと副交感神経

寒さや緊張、忙しさによって乱れやすい自律神経。

噛むリズムが副交感神経を働きやすくし、心身を落ち着かせる支えのひとつになると考えられています。

 

7.栄養士の視点:噛むとは「食べる習慣」を整える行為

噛むという行為には、食べる姿勢、心の余裕、体の準備がそのまま投影されます。

栄養士が考える『噛む意味』は、ただの口の動きではありません。

 

  • 自分の体を労わる→ゆっくり味わうことで、体の声に気づきやすくなる。
  • 食材に丁寧に向き合う→味・香り・食感の違いを感じ取れる。
  • 消化にやさしく配慮できる→ 唾液が出て、胃腸が働きやすい状態を整えやすくなる
  • 食欲をコントロールしやすくなる→ 満足感を得やすくなり、食べ過ぎを見直すきっかけになる。
  • 体調をやさしく支える→揺らぎやすい心身をそっとフォロー。

 

噛むことは、食卓を静かに豊かにする習慣です。

 

おわりに:「噛む」は、冬のやさしい養生

冬は、じっとしていても体ががんばってしまう季節です。

そんな時期こそ、特別な食材より“食べ方の質”が効いてきます。

今日のひと口を、ほんの少しゆっくり噛んでみる。

それだけで、体は静かに緊張をほどき、免疫や胃腸が 働きやすい状態をととのえる一助になります。

 

噛むという行為は、「大切に食べる」という習慣そのもの。

その積み重ねが、あなたの冬をやさしく応援する力になりますように。

 

まとめ

  • 咀嚼は唾液分泌を促し、口腔内の乾燥対策として役立つ。
  • 副交感神経が働きやすくなり、食後の落ち着きにつながる。
  • 噛むことで満腹感を 得やすくなり、冬の食べ過ぎを 防ぎやすくなる一因になります。
  • 胃腸にやさしい食べ方につながり、体内リズムを保ちやすくする一助になります。
  • 噛む習慣は、冬の体調管理を支える生活習慣のひとつ。
  • 嚥下に不安がある場合は医療専門家(かかりつけ医等)へ相談を。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回は【食と暮らしのコラム 第9話】五感で食べる ~「味わい」が変える栄養の届き方~をご紹介いたします。

どうぞお楽しみに。

 

 

【参考文献】

・厚生労働省 e-ヘルスネット「速食いと肥満の関係」
・厚生労働省 e-ヘルスネット「歯・口腔の健康」
・農林水産省「みんなの食育(ゆっくり食べる)」
 
・柿谷 幸男,中村 早江,清水 真知男(1994)
 咀嚼機能の訓練効果
 顎機能誌(J Jpn Soc Stomatognath Funct)1:105-109.
 
・佐藤 しづ子,笹野 高嗣(2015)
 味覚唾液反射を応用した新たな口腔乾燥治療
 薬学雑誌 135(6):783-787.

【免責事項】

本記事は一般的な情報の提供を目的としており、

個別の医療アドバイスや診断を目的としたものではありません。

※特に以下の場合は、必ずかかりつけ医・歯科医・言語聴覚士などの専門家にご相談ください

・継続的な体調不良や気分の落ち込みがある方

・嚥下障害や歯科治療中の方

・持病の治療中で食事制限がある方

お身体の状態はそれぞれ異なります。

 

気になる点がある場合は、安全のため、必ず主治医(かかりつけ医)にご相談ください。