【食と暮らしのコラム 第9話】
はじめに:冬の不調は「感覚」からきている?
「食べる意欲」は、栄養素の計算だけで生まれるものではありません。
それは、私たちの体が持つ「五感」によって大切に育てられるものです。
冬の食卓で、ふとこんな風に感じることはありませんか?
「いつもと同じ料理なのに、今日はなんだか箸が進まない」
「お腹は空いているはずなのに、食べたいという気持ちが湧いてこない」
その背景には、寒さや乾燥による、体と心の「感覚の閉じこもり」が影響しているかもしれません。
- 体調の揺らぎ:寒さで自律神経が緊張し、胃腸が縮こまっている
- 環境の変化:日照時間が短く、部屋の照明が暗く感じる
- 感覚の鈍化:乾燥で鼻が詰まり、香りが分かりにくい
特に年齢を重ねると、視覚・嗅覚・味覚・口の動き・集中力といった機能に少しずつ変化が訪れます。
そこに冬の厳しさが重なると、「食べること」自体が億劫になってしまう日が出てくるのです。
すると、このような悪循環が生まれやすくなります。
「食べたくない」から食事量が減る
▼
栄養が偏る
▼
必要な栄養が不足し、活力が落ちる
▼
動かないから、ますますお腹が空かない
▼
食が細り、体力が低下する…
だからこそ今、栄養バランスを考える前に、 食べる喜びの源泉である「五感」の働きを一緒に見直してみませんか?
五感をひらくことは、閉ざされがちな冬の体を開く、一番の近道なのです。
目次
1.視覚 ~「おいしそう」は栄養の入口~
料理を好きになる最初のきっかけは、 目で味わっていると言われます。
視覚からの情報は、脳に「これから食べるもの」を伝え、消化の準備を整えるスイッチの一つと考えられています。
- 彩りが鮮やかだと、食欲に関わる脳の部位が刺激されやすい
- 食材のツヤや湯気が「温かさ」や「おいしさ」を予感させる
- 色のバランスが整うと、見た目の満足感につながりやすい
視覚の工夫は、「食べたい」という意欲を引き出す一助になります。
✨今日からできる工夫
| 色 | 食材 | 期待できる雰囲気 |
|---|---|---|
| 赤・橙 | 鮭、にんじん、かぼちゃ | 活力・暖かさ |
| 緑 | ほうれん草、ブロッコリー | 安心・落ち着き |
| 白 | 大根、ゆば、豆腐 | 清潔感・やさしさ |
| 黄 | ゆず、卵、さつまいも、生姜 | 明るさ・希望 |
| 黒・茶 | しいたけ、ごぼう、海苔、黒豆 | 引き締め・深み |
■「3色以上」を目安に
科学的な定義ではありませんが、食卓に「赤・緑・黄」などが揃うと、栄養バランスが整いやすくなり、視覚的な満足感も高まりやすいと言われています。
食材そのものの色を意識するだけで、食卓がぐっと明るくなります。
2.嗅覚 ~香りが「食べたい」を呼び戻す~
私たちが感じる「おいしさ」は、実は舌の味覚だけでなく、嗅覚が大きく関わっていると言われます。
風邪をひいて鼻が詰まっていると、何を食べても味がしなかった経験はありませんか?
食べ物を口に入れて噛んだ時、喉の奥から鼻へと抜けていく香り(レトロネーザルアロマ)があって初めて、脳は風味を豊かに感じ取ることができます。
しかし、冬は嗅覚にとって厳しい季節です。
- 鼻粘膜の乾燥:匂いの分子をキャッチしにくくなる
- 気温の低下:冷たい空気中では香りが広がりにくい
だからこそ、意識的に「湯気の立つ温かな香り」を演出することが、大きな味方になります。
✨香りを活かす「冬のひと工夫」
1. 「湯気」をごちそうにする
香りの成分は、温かい湯気(水蒸気)に乗って空気中に広がります。
お味噌汁や煮物など、湯気の立つ料理を一品加えるだけで、部屋中に「おいしい匂い」が満ち、食欲のスイッチが入ります。
蓋つきの器を使い、食べる直前に開けて香りを浴びるのも効果的です。
2. 香りは「記憶」とつながっている(プルースト効果)
嗅覚は五感の中で唯一、感情や記憶を司る脳の部位(大脳辺縁系)に直接つながっています。
出汁(だし)の香り、焼いた醤油の匂い、ゆずの爽やかな香り。
これらを嗅ぐと、理屈抜きに「懐かしい」「ほっとする」と感じるのはこのためです。
こうした「香りが記憶や感情を一気によみがえらせる現象」は、プルースト効果と呼ばれています。
馴染みのある香りは、不安を和らげ、安心感のある食事を演出します。
3. 締めの「お茶」でリラックス
食事の最後には、ほうじ茶や緑茶など、香りの良い温かいお茶を。
その香りはリラックス感を高め、副交感神経が優位になりやすい状態を助けると考えられています。
結果として、食後の満足感を高め、心身をゆるめる手助けにもなります。
3.味覚 —— 五味のバランスが満足感をつくる
「甘味・塩味・旨味・酸味・苦味」 これらが複雑に重なり合い、調和することで、味に深みが生まれます。
しかし、高齢になると味を感じるセンサー(味蕾)の数が減ったり、感度が鈍くなったりすることがあります。
「最近、何を食べても味が薄く感じる」「食事が単調で飽きてしまう」 そう感じた時、塩や醤油を足して味を濃くするのではなく、「味の奥行き」と「リズム」で満足感を補うのが賢い方法です。
✨旨味(うまみ)は、満足感を底上げする土台
昆布、かつお節、しいたけ、トマトなどに含まれる「旨味成分」は、料理に立体感と持続性を与えます。
また、旨味の刺激は唾液の分泌を長くサポートするという研究報告もあります。
口の中が潤うことで、味の成分が舌に広がりやすくなり、より鮮明においしさを感じられるようになります。
- 唾液が出やすくなり、口の中が潤う
- 薄味でも「物足りなさ」を感じにくい
- 食べた後に「じんわりとした余韻」が残る
調味料に頼りすぎず、素材の持つ「旨味」を引き出すことは、体に負担をかけずにおいしさを手に入れる一番の方法です。
✨「味のリズム(抑揚と順序)」で飽きさせない
脳は同じ刺激が続くと、すぐに慣れてしまいます(順応)。最後までおいしく食べるには、味に変化をつけることが大切です。
- 酸味でリセット
酢の物や柑橘の酸味は、口の中をさっぱりさせ、次の味を新鮮に感じさせます。 - 苦味でアクセント
春菊や焼き目のほろ苦さは、味を引き締め、大人の食欲を刺激します。 - 甘味で余韻を
煮豆や食後の果物の甘さは、心身の緊張をほどき、幸福感を高めます。
これらを組み合わせることで、最後まで飽きずに食べやすくなります。
4.触覚(食感・温度)~「口当たり」がおいしさの輪郭をつくる~
料理のおいしさは、舌の味蕾(みらい)だけで感じているのではありません。
唇に触れた時の柔らかさ、舌の上での重み、喉を通る時の滑らかさ。
この「口当たり(食感)」は、料理をおいしいと感じる上で、とても大切な要素の1つです。
1. 口の中は「敏感なセンサー」
口の中は、指先と同等かそれ以上の繊細な触覚を持っています。
味付けが同じでも、食感が変わるだけで脳への刺激は劇的に変わります。
- とろり(あんかけ・ポタージュ)
舌を包み込むような感覚は、深い安心感と満足感を与えます。 - ふわっ(はんぺん・ムース)
空気を含んだ軽やかさは、噛む力を必要とせず、心がほどけるような優しさがあります。 - しっとり(煮魚・フレンチトースト)
水分を含んだ食材は、口の中を潤し、スムーズな飲み込みを助ける「快感」につながります。 - つるん(茶碗蒸し・ごま豆腐)
喉越しの良さは、食欲がない時でも抵抗なく受け入れやすい感覚です。
2. 食感は「最後まで残る感覚」
年齢を重ねて、塩味や甘味などの「味覚」が少し感じにくくなったとしても、この「触覚(硬い・柔らかい・温かい)」を感じる力は、比較的長く保たれると言われています。
だからこそ、高齢期の食事においては、 味を濃くするよりも、「心地よい口当たり」を大切にすることが、 食べる喜びを支える、最後までの頼もしい味方になるのです。
※なお、嚥下が気になる方や、むせやすさがある方等は、無理せず、かかりつけ医・歯科医・言語聴覚士などの専門家への相談をしてください。
5.聴覚 ~音は心の栄養~
食事のおいしさは、味や香りだけでなく、耳から入る情報にも大きく左右されます。
特に一人暮らしの方や、静かな環境で食事をされる方にとって、「無音(シーンとした状態)」は無意識のうちに緊張感や孤独感を招き、食欲を遠ざける要因になることがあります。
そんな時こそ、意識的に「音の彩り」を足してみてください。 耳からの刺激が、脳と心をリラックスさせ、胃腸の働きを助けてくれます。
✨食卓を温める「音」の処方箋
1. 音楽やラジオを「BGM」にする
テレビのニュースは情報量が多く、時に交感神経(緊張)を刺激してしまうことがあります。 おすすめなのは、ゆったりとした音楽や、ラジオです。
【音楽】
お気に入りの曲を流すだけで、自宅がカフェのような空間に変わります。
リラックスした雰囲気は副交感神経を優位にし、消化吸収を助ける一助になります。
【ラジオ】
人の話し声が流れることで、「誰かと一緒にいる」ような安心感が生まれ、寂しさを和らげる効果があります。
耳からの情報は、想像以上に食事の「心地よさ」をつくっています。
2. 「いただきます」を声に出す
たとえ誰かいなくても、小声でも構いません。
手を合わせ、声に出してみてください。
これは、脳を「活動モード」から「食事モード」へと切り替えるための大切な儀式です。 自分の声が自分の耳に届くこと自体が聴覚への良い刺激となり、ふっと肩の力が抜け、「さあ、食べるぞ」というスイッチが入ります。
6.栄養士の視点 ~五感で味わうことは「自分を大切にする選択」~
栄養士として多くの食卓を見てきましたが、 「何を食べるか(栄養素の摂取)」と同じくらい、 「どう感じるか(五感の体験)」が、その人の健康的な食生活を支えていると感じます。
特に、年齢を重ねて食が細くなったり、冬の寒さで気持ちが塞ぎがちな時。
五感に働きかける工夫は、単なるテクニックではなく、 「その人らしい生活を守る支え(尊厳)」になります。
- 食べる意欲を守る 「おいしそう」と心が動くことは、明日への活力につながります。
- 消化吸収の準備 五感への刺激は、唾液や胃液の分泌準備を促し、体が栄養を受け入れる手助けをします。
- 深い安心感を育む 慣れ親しんだ香りや温かさは、「ここは安全な場所だ」という安心感を心に与えます。
食事は、単なる燃料補給ではありません。
「生きる喜び」を育てる時間でもあります。
冬という少し内向きになる季節だからこそ、 一つひとつの感覚を丁寧に拾い上げる価値があるのです。
終わりに
まとめ
- 視覚: 彩りや盛り付けの工夫は、食欲を引き出すきっかけになる
- 嗅覚: 香りは記憶や感情とつながり、食べる意欲を呼び覚ます一助に
- 味覚: 旨味と味の変化が、満足感と唾液分泌をサポートする
- 触覚: やさしい食感と「口当たり」が、安心感のある食事をつくる
- 聴覚: ラジオや挨拶で静けさを和らげ、食事への期待感を高める
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回は孤食はなぜ「食欲」を減らすのか ~心と体をつなぐ「食卓」の話~をご紹介いたします。
どうぞお楽しみに。
【参考文献】
- 厚生労働省「日本人の食事摂取基準」
- 厚生労働省 e-ヘルスネット 「歯・口の機能」
- 厚生労働省「栄養・食生活」
- 農林水産省「みんなの食育」
【免責事項】
本記事は一般的な情報の提供を目的としており、
個別の医療アドバイスや診断を目的としたものではありません。
お身体の状態はそれぞれ異なります。
持病や嚥下に不安のある方は、必ず主治医(かかりつけ医)へご相談ください。