【魚コラム第7話】
旅館の朝食。
定食屋の焼き魚。
居酒屋の人気メニュー。
ホッケは、日本中で親しまれている魚です。
けれど、少し不思議なことがあります。
ホッケを思い浮かべようとすると、多くの人の頭に浮かぶのは、海を泳ぐ姿ではありません。
左右に大きく開かれた干物。
こんがり焼けた一枚の開き。
つまり私たちは、「魚としてのホッケ」より、「料理としてのホッケ」を先に思い浮かべています。
こうした魚は、比較的珍しい存在といえるでしょう。
魚は海で完成するもの。
そんなふうに思いがちですが、ホッケは少し違います。
その魅力は、海の中で育った身質に、人の加工や調理の知恵が重なることで、よりはっきりと引き出されてきました。
魚は海で育ち、味は人の手で育つ。
ホッケという魚は、そのことを静かに教えてくれる存在なのです。
1.ホッケってどんな魚?
~私たちは「魚」より「料理」を先に知っている~
ホッケと聞いて、海を泳ぐ姿を思い浮かべられる人は、それほど多くないかもしれません。
一方、こんがり焼けたホッケの開きなら、すぐに思い浮かぶ。
そんな人は多いのではないでしょうか。
旅館の朝食。
定食屋の焼き魚。
居酒屋の定番メニュー。
私たちは、ホッケを「魚」としてよりも、「料理」として記憶していることが少なくありません。
だからこそ、ホッケは海の中を泳ぐ姿よりも、食卓に並ぶ姿のほうが、多くの人の記憶に残っている魚なのかもしれません。
ブリと聞けば、海を泳ぐ姿を思い浮かべる人もいるでしょう。
サンマも、細長い銀色の姿が浮かびます。
けれどホッケは、まず「開き」が頭に浮かぶ。
そのくらい、人の手が加わった姿が、この魚の象徴になっています。
もちろん、海の中のホッケは最初から開いているわけではありません。
魚ですから。
実際のホッケは、やや細長い体に、茶褐色の背中と銀白色の腹を持つ魚です。
成魚は40〜50cmほどまで成長し、北太平洋の冷たい海域に広く分布する魚です。
北太平洋の冷たい海域を群れで泳ぎ、プランクトンや小さな甲殻類、小魚などを食べて成長します。
派手な色や大きなひれを持つ魚ではありません。
しかし、その身にはほどよく脂がのり、加熱するとふっくらとほぐれる白身になります。
この「加熱するとおいしい」という特徴も、ホッケが長く親しまれてきた理由のひとつです。
そして何より興味深いのは、
ホッケは海だけで完成する魚ではない、ということです。
海で育った身質に、人の加工や調理の知恵が重なることで、その魅力はよりはっきりと引き出され、多くの人が思い描く「ホッケらしい味」が育まれてきました。
だからホッケは、
自然の恵みだけではなく、人の仕事や工夫まで含めて語りたくなる魚なのです。
2.なぜホッケは北の冷たい海で育つのか
~海の地図は、魚が描いている~
そう聞いたことがある人は多いかもしれません。
けれど、ホッケは北海道だけの魚ではありません。
北太平洋の冷たい海域に広く分布し、日本では北海道周辺で多く水揚げされます。
また、北米側の海域で漁獲されたものも、日本の食卓で広く利用されています。
ホッケが北の海に多く暮らす背景には、海そのものの仕組みがあります。
北太平洋では、寒流や暖流が広い範囲で流れ、それぞれの海域に栄養や生き物を運んでいます。
日本近海では、その代表的な寒流が「親潮」です。
親潮は、北の海から冷たい海水を運び、周辺の海域に豊かな生態系を育む一因となっています。こうした冷たい海では、栄養をもとに植物プランクトンが増え、それを食べる動物プランクトンや小魚、甲殻類が集まります。
ホッケは、そうした豊かな餌に恵まれた冷たい海で育つ魚です。
つまり、ホッケが北の海に多いのは偶然ではありません。
海流が長い時間をかけて育ててきた、生態系の中で暮らしているからなのです。
私たちは地図を見るとき、都道府県や道路を目印にします。
けれど魚たちにとっての地図は少し違います。
海流がどこを流れ、水温がどう変わり、どこに餌が集まるのか。
それが、魚たちの「地図」になります。
ホッケは、その地図に従って生きている魚です。
だから、もし海流が大きく変われば、ホッケの暮らす場所も少しずつ変わっていく可能性があります。
魚は地図を持って泳いでいるわけではありません。
けれど何百万年という時間をかけて、海そのものを地図にして生きる術を身につけてきました。
ホッケという魚を知ることは、海流という見えない道を知ることでもあるのです。
3.なぜホッケは「開き」になるのか
~保存の知恵が、おいしさまで育てた~
左右に大きく開かれた姿は、ホッケを思い浮かべるうえで欠かせない印象のひとつになっています。
では、なぜホッケは「開き」にされるのでしょうか。
その始まりは、とても現実的な理由でした。
魚を少しでも長く、おいしく保存したい。
冷蔵庫がなかった時代、魚は時間との勝負です。
そこで人々は、魚を開いて内臓を取り除き、塩をして乾かす方法を考えました。
身を開くことで風が通りやすくなり、水分が均一に抜けます。
塩は保存性を高めるだけでなく、余分な水分を引き出す役割も果たしました。
こうして生まれたのが、「開き」という加工方法です。
しかし、この工夫には思いがけない贈り物がありました。
水分がゆっくり抜けることで、魚の味わいが引き締まり、焼いたときには表面は香ばしく、中はふっくらとした食感になりやすいとされています。
これは水分量がほどよく調整されることで、焼き上がりの印象が変化するためと考えられています。
保存のために始まった工夫が、結果として「ホッケらしいおいしさ」を育てていったのです。
つまり「開き」は、保存のためだけの技術ではありませんでした。
おいしさまで育てる技術だったのです。
ここがホッケの面白いところです。
もし私たちが、加工される前のホッケだけを知っていたとしたら、今のように広く親しまれる魚になっていたでしょうか。
もちろん、答えは誰にも分かりません。
けれど少なくとも、多くの人が思い浮かべる「ホッケらしい味」は、この開きという知恵の中で育まれてきました。
魚は海で育ちます。
けれど、その魅力は海だけで完成するとは限りません。
人が魚と向き合い、
「もっと長く食べたい」
「もっとおいしく食べたい」
と工夫を重ねたことで、新しい食文化が生まれていきました。
ホッケの開きは、その象徴のひとつと言えるでしょう。
4.北の海の魚は、どうやって日本中の食卓へ届いたのか
~魚だけでなく、人の知恵も旅をしていた~
今では、北の海で水揚げされたホッケが、日本各地のスーパーや食卓に並ぶことは珍しくありません。
けれど、それは昔から当たり前だったわけではありません。
冷蔵や冷凍の技術が十分ではなかった時代、新鮮な魚を遠くまで運ぶことは簡単ではありませんでした。
そこで大きな役割を果たしたのが、「開き」や干物という加工技術でした。
保存性を高めることで、魚はより遠くまで旅ができるようになります。
さらに時代が進み、冷凍技術や輸送網が発達すると、生のホッケや冷凍ホッケも全国へ届けられるようになりました。
北の海で育った魚が、日本中の食卓へ届く。
その背景には、漁師だけではなく、多くの人の仕事があります。
魚を水揚げする人。
加工する人。
運ぶ人。
売る人。
そして調理する人。
一枚のホッケの開きは、そうした多くの人の手を渡って、ようやく食卓へたどり着きます。
私たちは焼き魚を見ると、つい魚だけを見ています。
けれど、その一枚の向こうには、人の知恵と仕事が積み重なっています。
食文化とは、自然だけが育てるものではありません。
自然を受け取り、それを暮らしの中で生かそうと工夫してきた人々の営みがあって、初めて形になります。
ホッケは、そのことを静かに教えてくれる魚なのです。
おわりに
~魚は海で育ち、味は人の手で育つ~
けれど、多くの人が親しむ「ホッケらしい味」は、海だけで生まれたものではありません。
魚を開く。
塩をする。
干す。
焼く。
その一つひとつの工程には、「少しでも長く、おいしく食べたい」という人々の願いと工夫が込められていました。
保存のために始まった知恵は、やがて料理となり、文化となり、日本中の食卓へ広がっていきます。
ホッケは、その歩みを静かに見つめてきた魚なのかもしれません。
魚は海で育ちます。
けれど、味は人の手でも育ちます。
だからホッケは、
自然だけでは完成しない魚。
人の知恵とともに、その魅力が育まれてきた魚。
そう言えるのかもしれません。
次にホッケの開きを前にしたときは、少しだけ思い出してみてください。
その一枚には、海の恵みだけではなく、多くの人の仕事も込められています。
漁をする人。
加工する人。
運ぶ人。
焼く人。
そうした人々の知恵が、静かに重なっています。
魚は海で育ち、味は人の手で育つ。
ホッケは、その当たり前でいて忘れがちなことを、今日も私たちの食卓で教えてくれているのです。