【食と暮らしのコラム 第11話】
はじめに:見えない隣人たちと共に冬を越す
木枯らしが吹き、窓ガラスが冷たく曇る季節。
冷え切った体で外から帰宅し、玄関を開けた瞬間に漂ってくる温かいお味噌汁の香り。
その湯気に包まれたとき、ふと心の強張りが解け、深い安堵を覚える瞬間があります。
私たちが日常的に口にしている味噌、醤油、漬物、納豆、そして日本酒。
これらは単なる「食品」という枠を超え、目に見えない微生物たち(カビ・酵母・細菌)と人間が、数百年、数千年という長い歴史の中で結んだ「豊かな食卓のための契約」の結晶と言えるかもしれません。
彼ら微生物は、野菜や穀物が採れなくなる厳しい冬において食材をおいしく保存したり、寒さで食欲が落ちがちな季節に「食べる喜び」を与えてくれたりします。
今回は、発酵食品を機能性の枠組みだけでなく、「食事の時間を温め、心を豊かにする暮らしの知恵」として、文化と風味の両面からじっくりと見つめ直します。
目次
1.発酵食品は「微生物の仕事」を借りること
科学的な視点で見れば、発酵は「微生物が食材の成分を分解・変化させる」現象です。
その結果、風味が増したり保存性が高まったりすることで、私たちの食生活に彩りを与えてくれます。
では、発酵食品という環境の中で、微生物たちは具体的にどのような仕事をして、冬の食卓を支えてくれているのでしょうか。
①「酵素」というハサミで旨みを引き出す
日本の発酵食の主役とも言える「麹菌(こうじきん)」や、納豆を作る「納豆菌」などは、増殖する過程で「酵素(こうそ)」という物質を作り出すことが知られています。
この酵素は、食材の成分を変化させるハサミのような役割を果たします。
• プロテアーゼ(タンパク質分解酵素)
大豆や肉などに含まれるタンパク質を分解し、旨み成分である「アミノ酸」や「ペプチド」に変える働きがあります。
単に茹でただけの大豆にはない、味噌や納豆のあの複雑で深いコクは、微生物が時間をかけて成分を変化させた証と言えます。
• アミラーゼ(デンプン分解酵素)
米や麦に含まれるデンプンを分解し、甘み成分である「ブドウ糖」などに変える働きがあります。
甘酒が砂糖を一切使っていないのに濃厚な甘みを持つのは、この酵素の働きによるものとされています。
② 食材の「形」を変えて食べやすくする
微生物が成分の分解を進めた発酵食品は、元の食材とは異なる性状に変化しています。
例えば、硬い大豆が柔らかい納豆や味噌になったり、野菜がしんなりとした漬物になったりします。
冬場は寒さなどの影響で、「温かくて柔らかいもの」が好まれる傾向にあります。
微生物の働きによって食材のテクスチャー(食感)が変化し、食べやすい形になっていることは、冬の食事において嬉しいポイントの一つと言えるでしょう。
2.日々の食事に「多様性」を取り入れる視点
冬は生活リズムの変化などで、食生活が単調になりやすい時期でもあります。
①食卓に「彩り」と「多様性」を
近年の食のトレンドとして、特定の食材に偏るのではなく、「多様な食材を取り入れること」が豊かさの一つとして捉えられています。
発酵食品には、麹菌、乳酸菌、酵母菌など、多種多様な微生物が関わっています。
これらを日々の献立に取り入れることは、食材の品目数を増やすだけでなく、食事の中に「微生物の多様性」を取り入れることにもつながります。
様々な種類の味噌や漬物を楽しむことは、味のマンネリを防ぎ、食卓の風景を豊かに彩る一助となるでしょう。
②食物繊維との「共演」を楽しむ
発酵食品は、それ単体で食べるだけでなく、野菜・豆類・海藻・きのこなどに含まれる食物繊維と一緒に摂ることで、味わいの相乗効果が生まれます。
日本食における「大根や人参が入った味噌汁」や「納豆にネギやオクラを混ぜる」、「漬物と炊き込みご飯」といった昔ながらの組み合わせは、味のバランスが良いだけでなく、様々な食材を無理なく食べられるという意味で、理にかなった食事スタイルと言えます。
3.旨みは「食べる意欲」へのスイッチ
高齢の方や、年末年始の忙しさで疲れを感じている時、課題になりやすいのが「食事が進まない」という悩みです。
「お腹は空いているはずなのに、箸が伸びない」。
そんな時、発酵食品特有の濃厚な「旨み」が、食事を楽しむきっかけになると考えられます。
①風味と口当たりで食事をサポート
旨み成分(グルタミン酸など)は、味覚を刺激し、唾液の分泌を促すことが一般的に知られています。
冬場の乾燥した空気の中で口の中が乾き気味になると、食事がしづらく感じることがあります。
そんな時、旨みの強い温かい汁物や、酸味のある漬物を食事の最初に取り入れることで、口内が潤い、その後の食事がスムーズに進む助けになることが期待できます。
②「おいしい」と感じる心の満足感
旨みは、「もっと食べたい」「おいしい」という満足感を引き出す要素の一つと言われています。
味が単調になりがちな食事に、発酵食品の複雑なコクや酸味を加えることで、食事全体の味わいに奥行きが生まれます。
「おいしく食べ続けられること」。それは、食事を楽しむ心の余裕につながり、日々の生活の質(QOL)を彩る大切な要素です。
4.冬の発酵食文化は『雪国の知恵』
冷蔵庫もスーパーマーケットもなかった時代、雪に閉ざされる地域の冬において、食材をどう確保するかは、暮らしを支える切実な問題でした。
そこから発展したのが、保存性を高めた発酵食文化です。
• 寒仕込み(かんじこみ):
酒、味噌、醤油づくりにおいて、雑菌が繁殖しにくく、低温でじっくりと変化が進む冬は「仕込み」の最適期とされています。
気温が高いと変化が急激に進みすぎて味が荒くなることがありますが、厳しい寒さの中で微生物たちはゆっくりと活動し、時間をかけることで角の取れたまろやかな味を生み出します。
• 雪国の保存食の風景:
秋田の「いぶりがっこ」は、日本海側の気候で日照時間が短く大根が干せないため、囲炉裏の上で吊るして燻製にしてから米糠で漬けるという生活の工夫から生まれました。
石川の「かぶら寿司」は、カブにブリを挟んで麹で漬け込む、ハレの日のご馳走です。
長野の「すんき漬け」は、塩が貴重だった時代に、塩を使わず乳酸菌の働きだけで保存性を高めた知恵の産物です。
これら「懐かしい味」や「郷土の味」は、単なる食材の保存手段にとどまりません。
故郷の情景を呼び覚まし、心の安らぎをもたらしたり、食卓での会話を生んだりする「心の栄養」としての側面も、長く担ってきたと言えるでしょう。
5.食べる前の共生 ~「選ぶ」と「合わせる」楽しみ~
発酵食品との付き合い方は、料理をして食べることだけではありません。
スーパーマーケットでの「選び方」を変えてみたり、異なる味を「合わせる」ことで新しい風味に出会ったりすることも、冬の暮らしを豊かにする知恵の一つです。
①裏面表示と「色」で時間を見る
味噌や醤油を選ぶ際、商品の裏側にある「原材料名」や、その「色」をじっくり見てみたことはあるでしょうか。
• シンプルな原材料:
例えば味噌なら「大豆、米(または麦)、塩」。醤油なら「大豆、小麦、塩」。
昔ながらの製法で作られたものは、非常にシンプルです。
これらは微生物の力と長い時間をかけて、ゆっくりと旨みを引き出しています。
• 「色」は熟成の証(メイラード反応)
味噌の色にも注目してみましょう。
白っぽい味噌から、赤褐色、黒っぽい味噌まで様々です。
この色は、熟成期間中にアミノ酸と糖が反応して起こる「メイラード反応」によるものです。 一般的に、色が濃い味噌ほど熟成期間が長く、コクや旨みが強い傾向にあります。
冬は、じっくり寝かせた色の濃い味噌を選んでみるのも、季節感のある楽しみ方です。
②季節で「味噌を着替える」と「合わせ味噌」
私たちは季節に合わせて服を着替えますが、味噌も季節に合わせて変えてみるのはいかがでしょうか。
• 冬は「赤」や「長期熟成」を
汗をかく夏はさっぱりした淡色味噌が好まれますが、冬はコクのある「赤味噌」や、熟成期間の長い「豆味噌」などの濃厚な味が、大根や里芋などの冬野菜とよく合います。
• 風味を広げる「合わせ味噌」
料理人の世界では「味噌は遠いものを合わせよ」と言われることがあります。
例えば、甘みのある「白味噌(京都など)」と、辛口の「仙台味噌」や濃厚な「八丁味噌(愛知)」など、産地や種類、熟成期間が異なる味噌を混ぜ合わせる方法です。
単体では個性が強すぎる味噌も、合わせることで角が取れ、お互いの風味を補い合い、家庭では出せないような深みのある味わいが生まれます。
異なる環境で育った微生物の働きを、お椀の中で「共演」させる。
これもまた、多様な味わいを楽しむ発酵ならではの深いつながり方であり、いつもの食事を手軽にランクアップさせる知恵です。
6.栄養士の視点:発酵は「食べる環境のデザイン」
おわりに:微生物と共に、しなやかな冬を
現代社会は便利になり、季節を問わず様々な食材が手に入ります。
しかし、私たちは太古の昔から、微生物の手を借りて、厳しい自然環境の中で食をつないできました。
何か特別な効果を期待して、特定の食品ばかりを食べる必要はありません。
ただ、スーパーで裏面を見て丁寧に作られた味噌を選んでみる。
冷蔵庫に残っている種類の違う味噌を少し混ぜてみる。
「微生物たちが、私の代わりにおいしくしてくれているのかもしれない」と、目に見えない働き手に思いを馳せながら、温かい汁物をすする。
そんなささやかな共生の意識が、寒さで縮こまった心を内側から温め、冬の暮らしを楽しむ一助となるはずです。
科学だけでも、文化だけでも語り尽くせない、温度のある食の味方として。
この冬も、先人たちが残してくれた発酵の知恵を、ぜひ日々の暮らしにご活用いただければと思います。
まとめ
酵素の働きでタンパク質を旨みに変え、食材の風味や食感を豊かにしてくれます。
②食卓の多様性:
様々な種類の発酵食品を取り入れることは、日々の食事の選択肢を広げ、彩りを添えることにつながります。
➂旨みで食欲をサポート:
唾液の分泌を促したり、満足感を与えたりすることで、食べる意欲につながる要素の一つと考えられます。
④文化という豊かさ:
冬の発酵食は、厳しい冬を生き抜くための保存の知恵であり、心の安らぎをもたらす文化的な資産です。
⑤選ぶ・合わせる楽しみ:
味噌の色で熟成度合いを見極めたり、異なる味噌をブレンドしたりすることで、冬ならではの深い味わいを楽しめます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回は油は敵じゃない~『脂質』が支える細胞の健康と、食べる喜び~をご紹介いたします。
どうぞお楽しみに。
参考文献
- 厚生労働省 健康日本21アクション支援システム ~健康づくりサポートネット~「食物繊維の必要性と健康」
- 農林水産省「うちの郷土料理」
【免責事項】
本記事は一般的な情報の提供を目的としており、
個別の医療アドバイスや診断を目的としたものではありません。
お身体の状態はそれぞれ異なります。
持病をお持ちの方や食事制限が必要な方、また気になる点がある場合は、
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