【野菜のコラム 第3話】

はじめに

ジャガイモは、沈黙する野菜です。

トマトのように鮮やかな赤色で誘惑することもなければ、トウモロコシのように高く背を伸ばして風に揺れることもしません。

ただ土の奥深く、暗闇の中でじっと息を潜め、その時が来るのを待っています。

 

しかし、この無骨な泥だらけの塊こそが、過去数千年にわたり人類の胃袋を支え、ある時は人口爆発を引き起こし、またある時は国家の運命を変えるほどの悲劇を生み出してきました。

華やかな宮廷の晩餐会から、煤煙にむせぶ産業革命の工場、そして飢えに苦しむ戦時下の食卓まで。

 

本稿では、人類の歓喜と絶望の両方に寄り添い続けてきたこの「地下の巨星」の壮大な旅路を、辿ります。

1. 植物学的な「正体」 ~クローンという生存戦略~

①根ではなく「茎」である意味

私たちが普段口にしているジャガイモ。

あれを植物の「根」だと思われている方は非常に多いですが、植物学的には「茎(地下茎)」が変化したものです。

専門用語では「塊茎(かいけい)」と呼びます。

サツマイモやニンジンなどの「根」とは決定的に異なる点があります。

それは、ジャガイモには「芽」があることです。 地上の葉で作られた光合成エネルギーを、地下の茎の先端に送り込み、パンパンに膨らませて貯蔵する。

 

いわば、植物が厳しい冬を越すために用意した生命維持装置(生物学的なバッテリー)そのものなのです。

 

②クローン繁殖の強さと弱さ

ジャガイモの最大の特徴は、種(たね)からではなく、芋そのもの(種芋)から増える「栄養繁殖」を行う点です。

これは親と全く同じ遺伝子を持つ「クローン」が次々と増えていくことを意味します。

その強みは、優秀な個体を形質を変えずに短期間で爆発的に増やせることです。

 

しかし弱みとして、遺伝子が均一なため、特定の病気が流行すると全滅するリスクを抱えています。

この「クローンである」という植物学的な特性こそが、後述するヨーロッパでの「人口爆発」と「大飢饉」という、光と影の両極端な歴史を引き起こす根本原因となりました。

 

2. アンデスの叡智 ~天空の文明を支えた技術~

(1)標高4,000メートルの守護神

ジャガイモの故郷は、南米アンデス山脈(現在のペルー・ボリビア周辺)。

チチカカ湖畔の冷涼な高地です。

栽培(家畜化)の起源は、紀元前8000〜5000年頃(BCE)にかけてと考えられています。

アンデスの高地は、あまりに過酷です。

標高は富士山の山頂に匹敵し、空気は薄く、昼夜の気温差は最大30度近くに達することもあります。

トウモロコシの栽培には厳しい条件も多いこの地で、ジャガイモは特に安定して収穫できる作物でした

 

アンデスの人々にとって、大地は「パチャママ」~大地の母なる女神~と呼ばれる神聖な存在でした。   

ジャガイモは、その母なる大地からの最も慈悲深い贈り物として、深い敬意とともに何千年も守り育てられてきました。

 

(2)古代のフリーズドライ「チューニョ」

インカ帝国が強大な軍事力と広大な領土を維持できた背景には、「チューニョ(Chuño)」と呼ばれる驚異的な保存食の存在があります。

作り方は、アンデスの気候を巧みに利用したものです。

①夜、氷点下の冷気でジャガイモを凍らせる。

②昼、強烈な日差しで解凍する。

➂これを数日間繰り返し、水分を抜く。

④最後に足で踏んで完全に乾燥させる。

 

これは現代の「フリーズドライ製法」に通じる原理であり、数千年前の人々が気候を巧みに利用した知恵の結晶です。 

石のように硬くなったチューニョは、水で戻して食べることができ、乾燥や保管条件等が整えば、長期保存が可能だったとも伝えられています。

 

この食料備蓄システムは、インカ文明の発展を支える重要な要素の一つとなりました。

3. ヨーロッパでの苦難 ~「悪魔」から「救世主」へ~

16世紀後半、スペインを起点としてヨーロッパ各地へと伝わったジャガイモですが、そこで待っていたのは金銀財宝のような歓迎ではなく、深い軽蔑と恐怖でした。

 

①「悪魔の植物」と呼ばれた日々

当時のヨーロッパ人にとって、ジャガイモはあまりに異質でした。

聖書に記述がないことから一部では「神の創造物ではない」と疑われ、ゴツゴツした暗い色の塊はハンセン病やペストの腫れ物を連想させました。

さらに、芽や緑化した部分などに毒性成分が含まれることも知られ、「毒草」のレッテルを貼られたのです。

そのため、長い間、ジャガイモは「観賞用」として庭に植えられるか、あるいは「家畜の餌」や「囚人の食事」として扱われるに留まりました。

 

②戦争が変えた運命

転機となったのは、皮肉にも「戦争」でした。

当時のヨーロッパでは、軍隊が通過すると麦畑は焼き払われ、略奪されました。

麦は地上に実るため、ひとたび火を放たれれば全滅し、農民は飢えに苦しみます。

しかし、ジャガイモは違いました。

地中に埋まっているため、地上が焼かれても、兵士が去った後に掘り起こせば無事だったのです。

 

「ジャガイモさえ植えておけば、戦争があっても生き延びられる」。

ドイツ(プロイセン)での三十年戦争などの戦乱を経て、農民たちは経験則としてその価値に気づき始めました。

 

➂啓蒙君主たちの普及工作

国力を高めたい君主たちも、この「燃えない食料」に注目しました。

 

  • プロイセンのフリードリヒ大王

「ジャガイモ栽培令」を布告し、栽培を強く奨励する政策をとったとされます。

伝承では、軍隊を用いてまで強制したという逸話も語られてきましたが、近年では後世の脚色とする指摘もあります。

 

 

  • フランスのパルマンティエ

農学者である彼は、ルイ16世やマリー・アントワネットにジャガイモの花を献上し、宮廷ファッションとして流行させました。

また、畑に昼間だけ警備をつけることで民衆の関心を煽った、という有名な逸話も残っています。

 

 

こうして、「飢えないための保険」として、ジャガイモは欧州全土に根を下ろしていきました。

4. 産業革命と「貧困」の燃料

18世紀後半から、ジャガイモの普及はヨーロッパ社会を劇的に変質させます。

それは「産業革命」を底支えする、安価な燃料としての役割でした。

 

① 労働者階級の命綱(カロリー源)

工業化が進む都市部マンチェスターやリバプールには、農村から職を求めて労働者が殺到しました。

低賃金、長時間労働、劣悪な住環境。

そんな彼らの胃袋を満たし、翌日も働くためのエネルギーを与えたのが、安くて腹持ちの良いジャガイモでした。

条件次第では、同じ面積の土地で穀物より高いカロリー収量になり得るとされます。

歴史家ウィリアム・H・マクニールが指摘するように、もしジャガイモがなければ、ヨーロッパの人口爆発と産業革命の進展は不可能だったかもしれません。

過酷な労働現場で働く人々にとって、安価なジャガイモは命綱そのものでした。

 

②光と影 ~アイルランドの悲劇~

しかし、ジャガイモへの過度な依存は、歴史的な悲劇も引き起こしました。

19世紀半ばの「アイルランド・ジャガイモ飢饉」です。

当時、アイルランドの農民は食料のほぼ全てをジャガイモ一種に頼っていました。

しかも栽培されていたのは、特定の単一品種ばかり。

そこに、「ジャガイモ疫病(late blight)」という植物病害が欧州へ侵入しました。

ジャガイモはクローンです。

全ての株が同じ遺伝子を持っていたため、病気への抵抗力も一様に弱く、わずか数年で、国中のジャガイモ栽培は壊滅的な打撃を受けました。

 

推計では、100万人規模が死亡し、同程度の人々が国外へ流出したとされています。

この移民の波は、後にアメリカ社会の多くの家系にもつながり、ケネディ家を含む人々のルーツにもなりました。

単一の作物に命を預けることの危うさを、ジャガイモは人類に痛烈な教訓として残したのです。

5. 日本史の中のジャガイモ

日本においても、ジャガイモは「美食」というよりは、「救荒(きゅうこう)」の歴史と共にありました。

 

①飢えをしのぐ「お助け芋」

日本への伝来は1600年前後。

オランダ船によりジャカルタ(ジャガタラ)から運ばれたという説が有力で、「ジャガイモ」という名称も、この「ジャガタラ」に由来すると考えられています。

当初は普及しませんでしたが、寒さに強く痩せた土地でも育つ特性から、東北や北海道など、稲作が不安定な地域で命綱となりました。

 

特に江戸時代の「天保の飢饉」において、ジャガイモ(当時は『五升芋』『二度芋』などと呼ばれた)が東北地方で地域によっては多くの農民の命を救ったと伝えられています。

 

②「男爵」のロマンと北海道

明治時代、函館のドックで実業家として活躍していた川田龍吉(かわだ りょうきち)男爵。

彼はイギリス留学中に味わったジャガイモの品質に深く感銘を受け、自ら農場を開き、海外から種芋を取り寄せました。

彼が導入した品種(アイリッシュ・コブラー)は、日本の風土によく合い、後に「男爵いも」と名付けられました。

 

今や日本の食卓に欠かせないコロッケや肉じゃが。

そのホクホクとした食感の裏には、一人の男爵の情熱と、北の大地を開拓した先人たちの汗が染み込んでいるのです。

6. 美味しさの科学 ~なぜ私たちは惹かれるのか~

過酷な歴史を背負ってきたジャガイモですが、現代では純粋にその「美味しさ」が愛されています。そこには科学的な理由があります。

 

①メイラード反応の誘惑

フライドポテトやジャーマンポテトの、あの抗いがたい香ばしさ。

これは「メイラード反応」によるものです。

ジャガイモに含まれるアミノ酸と糖が、高温で加熱されることで結びつき、褐色物質(メラノイジン)と数百種類の香り成分を生み出します。

人類が火を手に入れて以来、この「焦げた香り」は最も食欲をそそるシグナルとなりました。

 

②テクスチャーの魔術

ジャガイモの細胞内にあるデンプンは、加熱すると水分を吸って糊状になります(糊化)。 これが、あの「ホクホク」や「ねっとり」とした独特の食感を生みます。

さらに、油と合わせることでコクが生まれ、塩を加えることで甘みが引き立つ。

シンプルだからこそ、調理法によって無限の表情を見せる「食感のキャンバス」。

これこそが、ジャガイモの料理科学的な正体です。

7. 結び ~歴史を食べるということ~

土の中で静かに育つジャガイモ。

その泥だらけの皮を一枚剥けば、そこには数千年に及ぶ人類のドラマが刻まれています。

アンデスの高地で文明を支えた栄光。

ヨーロッパの戦乱と飢饉を救った慈悲。 産業革命の労働者を支えた力強さ。

そして、単一栽培の危うさを教えた悲劇。

『光と影の大地誌』まさにジャガイモは、人類の歓びと苦しみの両方をその身に宿した「沈黙の巨星」でした。

 

温かいポテト料理を口にする時。

そのホクホクとした味わいの中に、遥かなる歴史の重みと、大地がくれた生きるためのエネルギーを感じてみてください。

【安全上の注意】

ジャガイモの「芽」や、光に当たって「緑色になった皮」の部分には、ソラニンやチャコニンといった天然毒素が含まれます。

調理の際はこれらを取り除いてください。

また、緑化が強いものは食べずに廃棄してください。

 

※農林水産省:じゃがいもによる食中毒を予防するために

https://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/foodpoisoning/naturaltoxin/potato.html

 

【参考文献】

  • ウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史』(Plagues and Peoples)
  • 農林水産省「ジャガイモのいろいろな種類」